唐津市議会 2022-03-11 03月11日-07号
この状況について、市民の方々に聞いてみますと、年配の方に多かった意見が「昭和31年に唐津市が財政再建団体に指定されたときと似ている」との声でした。 当時のことを調べてみますと、昭和29年に鏡、久里、鬼塚、湊村の合併があり、昭和31年には現在の市役所庁舎、昭和41年には唐津城の天守閣、昭和47年には市民会館が完成していて、現在とよく似ています。
この状況について、市民の方々に聞いてみますと、年配の方に多かった意見が「昭和31年に唐津市が財政再建団体に指定されたときと似ている」との声でした。 当時のことを調べてみますと、昭和29年に鏡、久里、鬼塚、湊村の合併があり、昭和31年には現在の市役所庁舎、昭和41年には唐津城の天守閣、昭和47年には市民会館が完成していて、現在とよく似ています。
多久市は、過去、昭和30年代に財政再建団体になった経験があります。そのときに尽力された方々はほとんど他界された方が多いんですが、伺いますと、本当に紙一枚、鉛筆一本までしっかり確認をし、チェックをしながら財政の再建に努力をしたんだという話をたくさん聞いています。
海士町は2007年度の地域づくり総務大臣表彰を受賞した町で、当時の山内町長さんは、町は放っておくと企業倒産に相当する財政再建団体になるおそれが出てきたと。そこで、町長さんはみずから50%給料を減らしたいと申し出たら、課長たちも「町長だけじゃいかん、私たちも30%カットをします」と。
だから、大丈夫だとか、あるいは財政再建団体に陥る基準というのがありますよね。そこまでには至っていないから、もう少し手前だからまだ安心だよと言い切れないんじゃないかなと私は思います。
それでは、もう一つ、北海道の夕張市が財政再建団体となりましたが、旧唐津市も昭和30年代に財政再建団体になったと聞いております。現在の財政事情とは共通点があるのかなということもございますが、その点についてわかりやすくご説明ください。 ○議長(熊本大成君) 岡本財務部長。 (財務部長 岡本憲幸君登壇) ◎財務部長(岡本憲幸君) お答え申し上げます。
本市の行財政運営につきましては、昭和29年の市制施行後、水害対策とか都市基盤整備等の事業があり、厳しい運営を迫られて、昭和31年から財政再建団体に指定されて、みずからが主体性を持った行政運営を抑制されていたという経緯があります。
北海道夕張市は、平成18年に深刻な財政難になったことが明らかになって、平成19年3月6日に財政再建団体に指定をされております。夕張市は明治期から炭鉱のまちとして栄え、昭和35年には11万6,908人の人口を擁しておりまして、当時は石炭産業以外の産業は皆無であった都市であります。そして、現在、平成24年時点の人口は10万6,518人減の1万390人で、全国で3番目に人口が少ない市となっております。
今後におきましても、大きな財源を伴う事業等もあるわけですので、どこかの市のように財政再建団体にはならないでしょうけれども、しっかりそこら辺を踏まえた財政措置をお願いして、次の質問に移らせていただきます。
私はこの厳しい財政状況は、伊万里市の規模、伊万里市規模の全国の地方自治体はみんな同じで、伊万里市が夕張のような財政再建団体に陥ることはないというふうに考えています。ここで政策経営部長に、伊万里市がこの夕張のように財政再建団体に陥る可能性があるのかどうか、ちょっとお聞きしたいと思います。 ○議長(内山泰宏) 政策経営部長。
これには経緯がございまして、かつて昭和31年に多久市は財政再建団体の指定を受けたことがございます。その際に、地方税法が定める標準税率であります100分の1.4を上回る100分の1.6と定め、再建に取り組んだわけであります。
これで一時財政再建団体となる危険性もあったということで、今財政再建に取り組んでいるんですね。 その後を追っかけるように、唐津市も今この財政計画等を見てみますと合併特例債いっぱい使っているでしょう。こういうふうになりはしないかというその危惧もあるわけですよね。ですから、その箱物行政というのは、そのときつくるだけじゃない。その後の維持管理費が要るわけですよね。
具体的には、減税や不況により税収が減少し、貯金に当たる基金は底を尽き、多額の借金を抱えておる状況にある一方で、行政施策のための支出はふえる傾向にあるわけで、この状態を放っておくと、どのような地方自治体であれ、いずれ財政再建団体に転落ということになるわけであります。
もちろん財政再建団体ということはあり得ますけれども、個人の会社の破産や倒産とは違いそういうことは起こり得ない。個人の借金とは性格が違い、世代間の公平な負担という観点から、国も地方自治体も借金があるのは普通の姿だと、このことも申しておきたいと思います。そして、鳥栖市の場合は粛々と地方債残高を減らしてきているではありませんか。
私がこの4期にかける所信がというお話を差し上げたのは、実は多久市というのは財政再建団体に陥った期間、9年間という歴史があります。昭和31年から39年までということですので、しかし、その39年を越しても、実は多久というのは、炭鉱の閉山によります人口が急激に減っていった年がその後からずっと続くわけですよね。そういったことで、時代は変わっても、そう簡単に健全な団体になるとは思えないと思います。
この当時の唐津市がどうであったかというときを見たらですね、本議会で田中議員が、赤字再建団体になったところに職員を派遣をしてはどうかということでございましたけれども、昭和31年、もう既に僕は生まれておりますけれども、そのときも唐津市は既に財政再建団体というのを経験しておるわけですね。そのときは吉本副市長は職員で働いていらっしゃったんじゃないかなと思いますけれども、どうでしょうか。
今回は、庁舎建設問題の是非を議論する意思はありませんけれども、また市が再建団体に陥るということではありませんが、財政再建団体の厳しさを実感させるためにも、研修生として夕張市への職員の派遣を提言するものでありますが、どういうお考えかを伺いたく思います。 ○議長(熊本大成君) 世戸総務部長。 (総務部長 世戸政明君登壇) ◎総務部長(世戸政明君) お答えをいたします。 夕張です。
この目的は、これまでの財政再建団体制度と違い、いきなりレッドカード、つまり財政再建団体ですよということを突きつけるのではなく、新しく検査項目をふやし、イエローカードとレッドカードの2段階で、自治体の健康状態をチェックするものであります。住民や議会が監視しやすいようにし、早期に是正することで、破綻を防止することに重点が置かれた制度となっております。
合併後のみやき町のあるべき姿を十分な基幹審議を行い、検証を重ね合わせてあらゆる角度から検討してみたが、みやき町が早晩、財政再建団体に陥り、猶予のある時間ではないと判断され、その検証結果を広く町民、議会に十分な説明を行い、その要因について合併協議会おける審議が不十分ではなかったのか、短期間で分庁方式に至った結論には無理があったのではないかと推定されるとするならば、そのためにみやき町新庁建設計画の基本構想